madajimaとの会話

たまたまここを訪れてくれた方を一笑い吹かせるために、赤の他人との「どうでもいい会話」や自分の「どうでもいい思考」を載せています。

おじいちゃんの日記

うちのおじいちゃんは、イケメンである。かっこいい。

30年前、65歳にして、ホノルルマラソンを4時間半ほどで完走した。

膝が悪くなって走れなくなると、その情熱をゲートボールにシフトし、選手としては飽き足らず、審判として1番上の資格を取っていた。

演歌を歌うのが上手で、一度カラオケに行った時、95点以上を連発していた。

夏になると、盆踊りの音頭取りをするために、市内の祭りや小学校の運動会に借り出されていた。

地域に貢献するために、公園の整備や、公衆電話の掃除をしていた。

僕たちに家族においしい野菜を食べてもらおうと、無農薬で畑をせっせとやっていた。

「空襲に比べたらあちこたことねえ(大したことねえ)」が口癖で、大地震や洪水があった時も家の中で一人平然としていた。

情に厚く、嬉しいことがあるとすぐに泣き、楽しいことがあると大声で笑い、悲しいことがあるとずっと落ち込んだままだった。


身体が丈夫で、行動的で、人に囲まれていて、好かれていて。

早寝早起き元気一番のおじいちゃんが死ぬことなど、ないのだろうと思った。

おじいちゃんはスーパーおじいちゃんなのだ、と。

100歳になって、110歳になって、120歳になって、長寿ギネス記録を塗り替えるのだ、と。

僕が中学生、高校生、社会人となり、同様におじいちゃんが歳を重ねていっても、その気持ちは変わらなかった。

小学校の運動会で6年間、うちのおじいちゃんの太鼓叩きを見ていた友だちは、「え、まだ太鼓叩いてんの?」「すげえ、元気じゃん」「祭りの時にはしゃぎ過ぎるの、やめてくんね?」といつも僕に言ってくれて、それが僕にとっては誇らしかった。


また、おじいちゃんはいつも僕の味方だった。

僕が大学を辞める時、「madajimaの人生なんだから」と言ってくれた。

数ヶ月外国に行くことになった時も、「そうかそうか。元気で、気をつけて」と。

年末年始に帰省し、僕が親と喧嘩して、予定を早めて元日の朝に東京に戻ることになった時も、「きっと事情があるんだろうから」と。

そのたびに、僕は「ありがとう」と言いながら背中をポンポン叩いていた。

おじいちゃんの身体の温もりを手のひらに感じて、僕は泣きそうになっていた。

あったけえなあ、やさしいなあ、ありがたいなあ。

「じゃあ、東京で頑張ってくるね。次会う時まで、元気でね」という言葉を、涙が目から溢れる前に、必死に口から出していた。


そして、その願いが叶わぬ時がやってきてしまった。

2019年10月某日の早朝、おじいちゃんは95歳で亡くなった。

この日は、たまたま僕の誕生日でもあった。

母はメールで、「最後までmadajimaと繋がりが深かったね」と言った。

そう言われて、「僕の誕生日を祝うために、この日まで生きてくれたのかな」と考え、涙が溢れてきた。


お通夜の時、近所の人が多く集まってくれた。

見たことある人もいれば、見たことのない人もいた。

そこで、喪主である父が挨拶をした。

「父は病気が一切なく、最期は安らかで、静かでした」

「95年の人生を全うして、永遠の眠りについたのだと思います」

「私の父は、私と違って趣味が多く、色んなことを色んな人とやって」

「やりたいことは、とことんやり通す人でした」

「そして、一度やり始めたら、ベストを尽くさないと、一番にならないと気が済まない性格でした」

「夜、私が寝る頃、声がするなあと思ったら、ゲートボールの審判の練習をしたりしていました」

「そんなまっすぐな性格もあって、近所の皆さんに迷惑をかけていたこともあるかと思います」

「ただ、皆さんに見守って頂いたおかげで、ここまで長く元気でいられたのでしょう」

「今日はお越し頂き、ありがとうございました」


これを聞いて、ハッとした。

「今の俺って、おじいちゃんみたいだったんだな」と思ったからだ。

常にベストを尽くすところだったり、次の日の本番のために精一杯準備したり、自分がやると決めたことは周りが何を言おうとやったり、そういうのを笑って見守ってくれる友だちに恵まれたり。

俺って、おじいちゃんにかなり影響を受けているんだな。

俺って、おじいちゃんのことが大好きだったから、おじいちゃんみたいになりたくて、そして実際にそうなっていたんだな。

自分、という、唯一無二の1人の人間だと思っていた存在が、急に「1人」ではなく感じられた。

僕という1人の人間の中に、おじいちゃんの心もあるような、そんな錯覚を覚えた。

自分という人間は、おじいちゃん無しでは今の自分にはなっていなかったことに、今さらながら気づいた。


通夜が終わり、次の日に葬式が終わった。

おじいちゃんの身体が燃えて骨になったのを見て、ようやく、あの元気で丈夫なおじいちゃんが死んだのだという現実を受け止めることになった。

何を考えるにしても、涙がこみ上げてきた。

何を考えるにしても、おじいちゃんのことが頭に浮かんだ。

何を考えるにしても、心の中におじいちゃんを感じた。

それが悲しいと同時に、嬉しくもあった。

僕がおじいちゃんの孫であることを幸運に思った。

この今の感覚を、出来るだけ長く感じていたかった。

そしてまた、涙が出て、鼻水が出た。


僕は外に出て、川沿いや山を走りまくった。

サッカーボールを壁に蹴りまくった。

とにかく身体を動かしていたかった。

おじいちゃんがマラソンやゲートボールをしていたように、僕もジョギングやサッカーをしていたかった。

そうしている時に、ふと思った。

そういえば、おじいちゃん、日記を書いていたなあ、と。

僕が子どもの頃、夜はいつも一緒にこたつに入っていた。

その横でおじいちゃんが、「今日は何をしたかのう」と言いながら、日記を書いていた。

それを見ながら、「おじいちゃんの字、かっこいいね」とか言っていた。

それを、読んでみたくなってきた。

別に、隠しながら書いていた訳ではないから、隠し事などあるまい。

バチも当たらないだろう。


おじいちゃんの部屋に入り、本棚を探すと、簡単に見つかった。

1991年から2017年くらいまである。

3年日記と5年日記あわせて5、6冊。

「昨日にくらべて暖い1日であった」

「朝ジヨギング 10km 55分」

「家の中でゲートボールの練習」

「家の廻りの雪消し」

「午前遊園地(児童公園)の清掃」

「午后野菜の虫取り」

「トレーニングウエヤー8,800円」

「町内のバービキウに参加した」

「夜中12時2分頃野口肉店からボヤ火災で大さわぎをした。星さんがお酒2本を持つて近火見舞に来てくれた」

「運動会の音頭とりのお礼でお酒を3本もらつた」

ソ連大統領が解任されたと報道があつた」

「ロシアのエリツイン大統領が来日した」


やたら運動をしているし、やたら掃除をしているし、やたらカタカナをうまく書けないし、やたら日本酒が貨幣として使われているし、やたらソ連のニュースに興味を持っている。

そんな中、僕との関わりが増えてきた。


「10時50分頃病院に行き、午后2時34分3,300gの健康な男の子を出産した」

「madajimaと命名した。近所の人からお祝をいただいた」

「1日madajimaの子守をした」

「madajimaくんを初めて床屋に連れて行つて来た。おとなしくして終つた」

「madajimaと初めて風呂に入つた」

「madajimaの保育園のお遊ギ会に行つてきた」

「madajimaが自転車でケガをしてたいした事はなかつたが、1しゅんおどろいた」

「madajimaをマクロナルドに連れて行つた」


ご覧の通り、事実だけである。

生まれた僕が可愛かった、とか、こういう子に育ってほしい、とか、そういう感想や感情は一切ない。

逆に細かい数字が多く、日記というよりは、もはや記録である。

ただ、僕にはおじいちゃんの性格や考え方が頭に入っているため、それでも面白かった。

おじいちゃんの後ろをカメラが追うように、情景を思い描くことができた。

書かれていない行間の気持ちをなんとなく読み取ることができた。


あまりに面白かったため、僕は日記を東京に持って帰ってきた。

それから、おじいちゃんの日記を見るのが、仕事終わりの楽しみになっていった。

ツッコミを入れながら、クスクスしながら、じんわりとしながら、ページをどんどんめくっていった。

こんなことあったんだ、とか、こういうことをしていたんだ、とか、俺にこういうことをしてくれていたんだ、とか、自分の記憶にないことを知るのが楽しかった。

後でもまた見られるように、その内容をまとめる、というか、面白い部分をノートにとったりして、後で見やすくできるようにした。

つい熱中してやってしまっているので、「大正の男、平成に生きる」みたいな感じで、本とか映画とかにできないかな、と思ったりした。

「空襲に比べたらあちこたねえ」がキャッチフレーズで。

それと同時に、このおじいちゃんの日記が僕にとって面白いのは、僕がおじいちゃんのことが大好きだからなのだろう、と気付き、諦めたりした。


そして、なんとなく思うのである。

俺のブログも、こうやって熱心に読まれるのだろうか、と。

俺が死んだ後、何かのきっかけで僕がブログをやっていたことが判明し、家族に読まれるのだろうか。

「ほうほう、madajimaはプリッとしたお尻が好きだったのか」と感心されるのだろうか。

「ほうほう、madajimaはサッカーのことを例えに出すしか能がなかったんだな」と馬鹿にされるのだろうか。


でも、僕自身がおじいちゃんのように魅力的なイケメンになれば、きっと、その日記や記録も魅力的になるんだろう。

家族に好かれるような人間になれば、僕の日記に興味を持つんだろう。

そうすれば、書いてある中身がお尻だろうがサッカーだろうが、家族は面白がって読んでくれるはずだ。

そして、人に面白がって読んでもらうことが、このブログを書く何よりの目的である。


これからも、おじいちゃんとの日々を抱き締め、より魅力的な人間になる歩みを進めよう、と誓った。

 

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右が60代の祖父