花火で終わった日から、一晩が明けました。
今日は、マンリービーチという場所に行って、レンタサイクルをするつもりです。
「マンリー」は、シドニー市街の北東にある大きな半島です。
海岸沿いにながーいビーチがあり、そこを自転車でびしゃーっと走る予定です。
この日も朝早く起き、フェリーに乗って半島へ行き、レンタサイクルの店に着きました。
9時10分です。
インターネットで調べたところ、9時にレンタサイクルの店は開いているはずです。
ですが、シャッターは半開きのままで、スタッフと思われる男性2人が、自転車を店の中から引っ張り出していました。
さっさと借りたかったので困ってしまいましたが、その2人に向かって、「すいません」と声をかけました。
そのうちの一人が僕の方をじろっと見て、もう一人は無視しました。
僕は、「もう、開いていますか?」と聞きました。
その店員は顔を背けながら、「あー、自転車を外に出しているんだよ」と答えました。
ん?
んんん?
それは、どういう意味だ?
俺の質問への、答えになっているのか?
僕は困惑して、そこに突っ立っているしかありませんでした。
すると、店の中から、背の高くて金髪ロン毛のイケメンが出てきました。
デイビッド・ベッカムにうっすら似ています。
彼は僕を見て、「お? 自転車借りるの?」と笑顔で聞いてきました。
僕は力強く頷き、「そうです」と答えました。
「自転車の種類は?」
「クロスバイクで」
「時間は?」
「1日で」
イケメン店員の手際は良く、事務的な質問にいくつか答え、自転車とヘルメットを用意してもらい、出発することになりました。
僕が自転車のチェックをしていると、イケメン店員が僕の顔をのぞきこむように、「どっちの道行くか、わかる?」と聞いてきました。
僕は「あ、えっと」と少し困りました。
すると、彼は、「教えてやるよ」と言いたげに、パンフレットを開きました。
「パープルルートに行くと、結構坂がキツい。このオレンジルートも、そこそこキツいな。まあ、その代わり、下りはヒューンって感じで、気持ちいいけど。で、こっちのイエローは真っ平ら。全然坂なし。このレッドルートは、クロスバイクじゃ無理だな。やめとけ」
「ああ、なるほど」
実は、この辺り、事前にホームページを見て全部知っていたんですが、この店員が、あまりにイケメン過ぎて、ビビってしまっていました。
そのビビっている感じが、何も分からないように見えたのかもしれません。
この会話も終え、出発する、という時に、「どこ出身?」と聞かれました。
「日本」
「へえ、ふーん」
イケメン店員は、納得したような、驚いたような、不思議な表情をしました。
「じゃあ、楽しんでこいよ」
「ありがとう!」
こんな、謎なレンタサイクル店を後にして、僕は自転車を走らせました。
走らせながら、「イケメンにだけ客と話をさせて、あとの2人は自転車と話すだけなのか」とか考え始めましたが、それどころではなくなりました。
自転車は思ってたよりも安物で、あんまり前に進みません。
また、坂が多かったです。
そして、日本では見たことのないような、急勾配の坂が頻繁にありました。
この急な坂情報は、事前準備で見ておいたインターネットには載っておらず、また、イケメン店員の「坂がキツい」の言い方からして、「そこまでキツくないかな」と思っていたのもあり、驚いてしまいました。
また、この坂たちは、急なのもそうですが、ひたすら長いです。
それに、昨日が登山だったため、すぐに筋肉痛を感じてきました。
今ですら、あの急勾配を見上げた絶望感を思い出すと、筋肉痛を感じるくらいです。
たまに、ヒューンとした下り坂があるのは楽しかったですが、だんだんと、「下り坂ってことは、この後、登らなきゃいけないってことだよな・・・」とネガティブになってきました。
ネガティブになるあまり、「オーストラリアで自転車って発想、バカだったんじゃね?」
「どうして車が発明されたか分かったわ」
「だって、車の方が、ずっと速く坂を登れるもの」
「太ったおっさんが、デカい車に乗って俺を追い越していくの、悔しいけど、それが現実なのよね」
「レンタサイクルとか、よくビジネスになっているな、マジで」
そんな風に精神的にやられ始めたので、僕は自転車を停めて、水分補給をしました。
すると、ランニングをしている、女子高生と思われる集団が僕の背後を走り抜けました。
20人くらい、良い体格をした女性たちが、同じ服を着て走っていきます。
もう随分長く走っているのか、全員の顔が真っ赤になっていて、ツラそうな表情をしています。
物珍しげに、ついじっと見てしまいましたが、そんな僕を見返してきたりは誰もしません。
彼女たちにとって、目の前に見えているのは先の一歩だけなのでしょう。
じっと見つめてくる日本人に気付いたとしても、気にも留めないでしょう。
そこら辺の木やなんかと同じで、僕はただの物体と化しているのでしょう。
なんせ、はあ、はあ、と、はっきり聞こえるように息を荒げています。走りのフォームも安定していません。
20人が全員、そんな感じです。
あっという間に集団全員が僕を通り過ぎ、その後ろ姿を、僕はじっと見ていました。
頑張っているなあ・・・。
すげえ、頑張っているなあ・・・。
この坂にも負けず、努力しているんだなあ・・・。
俺も、負けていられないなあ・・・。
すると、自分の心の中に変化が起き始めました。
「もうちょっと頑張って、バーガーを食べよう」
「これだけ上り坂を頑張っているんだから、ハンバーガーは絶対においしい決まっている」
「だから、もうちょっと頑張ろう」
そういう訳でポジティブになった僕は、必死に頑張る女子高生を思い出しながら上り坂と下り坂を楽しみました。
そして、ハンバーガーです。
Google Mapsで調べ、ビーチの端っこにある小さな川の方まで来て、バーガーを持ち帰ることにしました。
色んなバーガーの種類がありましたが、ボンダイでボンダイピッツァを食べたように、マンリーなのでマンリーバーガーを選びました。
あまりのアップアンドダウンからのあまりの空腹で、バーガーだけでは足りないと思い、サイドメニューのチキンサラダも頼みました。
それを、小さな川まで持って行き、芝生に座って食べ始めました。
ボンダイピッツァを食べた時のような感動があるわけでもなく、とりわけおいしくもありませんでしたが、肉を食べる充実感を味わいました。
筋肉痛が癒されていく感覚を覚えました。
食べていると、川の反対岸にゴールデン・レトリーバーの犬が見えました。
ちなみに、川と言っても、すぐそこは海なので、砂浜の浅い溝に水が通っている感じです。
そして、そこにいた犬は、リードに繋がれていませんでした。
シドニーに来てから、リードに繋がれていない犬は何匹も見ましたが、この犬は、飼い主から随分離れたところにいました。
それもそのはず、飼い主がスポーンと、軟式テニスに使われるようなボールを投げて、それを犬がへっへへっへと舌を出しながら追い、口にくわえて、走って戻ってくる、みたいなのをひたすら繰り返していたからです。
ポーン。
へっへっへ。
パク。
へっへっへ。
よしよし。
何、この開放感。
飼い主の若い男性は、ずっと笑顔を浮かべています。
犬も、尻尾をフリフリして砂浜を駆けずり回っています。
楽しそうだな、オイ。
そう思って、僕はモグモグとハンバーガーを食べています。
たまに、飼い主がボールを投げずに、投げるフリをしたりします。
それでも、犬はボールが投げられたであろう方向へと全速力で走り出し、少しすると、「あれ? ボール無いんだけど?」と言わんばかりにキョロキョロし出します。
その姿に笑顔を浮かべる飼い主は、それからボールを投げて、犬はそれをくわえて、また嬉しそうに飼い主のところに戻ってきます。
僕としては、もてあそばれている犬が可哀想になるのと、可愛らしいなあ、と思うのが、半々くらいの気持ちになりました。
再び、飼い主がボールを遠くに投げました。
レトリーバーが、飽きもせずにへっへっへと追いかけます。
すると今度は、ボールの投げた方向に、違う犬Bがいました。
レトリーバーではなく、黒い犬です。
この犬Bは、レトリーバーとは違い、女性の飼い主にリードで繋がれています。
ボールがあったらくわえる、が、犬の本能なのか、犬Bは、目の前に転がってきたボールをくわえました。
すると、レトリーバーが近づいてきて、よこせよこせ、と言わんばかりに、犬Bの口からボールをとろうとしました。
犬Bは少し抗いましたが、あまりのレトリーバーの激しさに、口からボールがこぼれると、レトリーバーがボールをくわえ、飼い主のところに戻りました。
悔しかったのか、犬Bは、そのレトリーバーを追いかけようとしました。
ですが、犬Bは、リードに繋がれています。追いかけられません。
ここで、僕は目を疑いました。
犬Bの飼い主である女性は膝を曲げてかがみ、犬Bのリードをとってあげたのです。
ここで自由になった犬Bは、レトリーバーの尻尾を全速力で追いかけました。
ああ、これはまずい。
レトリーバーと犬Bの血の争いが始まってしまう。
どうして、犬Bの飼い主は、リードを離してしまったのか。
どうして、犬と犬が争わなくてはいけないのか。
どうして、犬同士が戦わなくてはならないのか。
どうして、毛色が違うだけで戦ってしまうのか。
ああ、どうして。
ボールが、「やめて! 私のために戦うなんて、やめて!」と叫ぶのが聞こえてくるようです。
つい、ハンバーガーを食べるのを止めてしまいました。
が、血は流れませんでした。
犬は2匹とも、ボールしか見ていませんでした。
犬Bもレトリーバーの飼い主のところに来ると、そのボールだけを見て、飛び跳ねたりしています。
レトリーバーの飼い主が、犬Bの飼い主とアイコンタクトをしたのが分かりました。
まあ、2人ともサングラスをしているので、厳密にはアイコンタクトではないですが、言っていることは分かりますよね。
会釈です。
ここで、レトリーバーの飼い主は、ボールを遠くに放り投げました。
犬2匹は、全速力でそれを追いかけます。
すごい、すごいです。2匹ともほぼ同じ速さです。
お互いに身体を当てるように、ボールへの最短距離をとるためのコースを争っています。
まるで、陸上の世界選手権を見るようです。
その争いを制し、最初にボールをくわえたのはレトリーバーでした。
レトリーバーがボールをくわえると、Uターンをして、ボールを飼い主まで全速力で運びました。
それを犬Bがひたすら追いかけました。
やはり、経験値の差でレトリーバーが有利なのか、と思いました。
僕はウンウンうなずきながら、ハンバーガーをモグモグしました。
飼い主がレトリーバーからボールを受け取りました。
すぐに、2匹の犬が、「次は? 次は?」と言わんばかりに、飛び跳ねます。
それに応えるような形で、飼い主が右腕を振りかぶり、投げました。
が、投げませんでした。
あれです、あの、犬をもてあそぶようなフェイントです。
これに、犬2匹は見事に騙されました。
投げられたであろう方向へと2匹とも走り出しましたが、そこにボールはありません。
ここで、犬Bはランダムに走り始めました。
川に落ちたんじゃないか、と思ったのか、あるいは、ただ単に川に入りたかっただけなのか、浅い川にジャボンと入りました。
すると、レトリーバーは、そこにボールが落ちたと思ったのか、あるいは、ただ単に川に入りたかっただけなのか、浅い川にジャボンと入って、ジャバジャバと足を動かしました。
犬Bは、レトリーバーのそのジャバジャバ音を聞いて、そこにボールが落ちたと思ったのか、そこに向かいますが、すぐに、ボールが無いことに気付きます。
音を頼りにボールを探す、無限ループです。
徒労の、無限ループです。
が、水のジャバジャバを楽しんでいるようにも見えるので、イライラはしていないでしょう。
「あれ? ボールが見つからないけど、なんだか楽しい?」っていう感じでしょう。
そこで、飼い主はようやくボールを投げました。
砂浜に点々とします。
レトリーバーが一早く気付き、ボールに向かいました。
少し遅れて、犬Bが、レトリーバーの尻尾を追いかけました。
やはり、ボールへの嗅覚という点で、レトリーバーに経験の利があります。
僕はもう、自転車なんかに乗らずに、これをずっと見ていようかな、と思いました。
やがて、その飼い主と犬たちもいなくなり、僕もようやくハンバーガーを食べ終えたので、腰をゆっくりと上げました。
自転車は、ビーチの駐輪場みたいなところに停めたので、そこに行こうと横断歩道を渡ろうとしました。
このビーチ沿いに走っている道路は車通りが多いですが、横断歩道のところに立つと、すぐに車は止まってくれました。
渡ろうとして前を見ると、道路の反対側に、クレヨンしんちゃんのシロをふわふわさせたような犬と、おばさんが立っていることに気付きました。
案の定、白い犬にリードは繋がれていません。
両方向の車が止まると、おばさんは歩き出しました。
そこに犬が付いてきます。
その光景は少し異様でした。
リードに繋がれていない犬が、車の間を縫って横断歩道を渡る?
日本に生まれ育った自分にとって、「犬はリードに繋ぐ」という概念があまり普通すぎて、ショックを隠せませんでした。
先ほどのボール遊びみたいに、広い場所なら、「まあ、いっか」くらいに思って、そこまで驚きもしませんでしたが、ここは人通りも車通りも多いです。
犬の能力を、そこまで信じられるなんて。
あまりのショックで、僕は目が点になったまま、そこから動けずに、その犬を凝視してしまいました。
犬は、おばさんの少し後ろを歩くようにして付いて行っています。
おばさんは、「こっちよ」と言わんばかりに、手を腰の高さにして、手招きのような仕草をしています。
心なしか、犬は緊張しているようでしたが、おばさんと一緒に横断歩道を渡り抜きました。
マジかよ。
すげえな、オイ。
どういうことだよ。
この互いの信頼感、どこから来るんだよ。
いや、飼い主が信頼するから、犬も頑張ろうとするのかな。
そういうことなのかな。
そういうことなのか?
あまりに犬を凝視してしまった結果、僕が渡る前に車が動き出してしまいました。
恥ずかしくなった僕は、「あ、考えた結果、渡らない方が良いわ」と思ったような表情を浮かべて、回り道をすることにしました。
それから、僕は自転車を拾って、イエロールート、平坦な道を走りました。
平坦な道のありがたさ、というか、坂に比べていかに平らな道が楽なのかを感じました。
スムースにタイヤは転がり、あっという間にルートを完走してしまいました。
その後、レンタサイクルの店まで戻り、自転車を返しました。
その時には、「ごめん、やっぱり、自転車も偉大な発明だったわ」と、自転車を撫でるようにして、感謝しました。
そして、ベッカム似のイケメン店員がまだいたので、「どうだった?」と聞かれました。
「坂がキツかったけど、楽しかった」
「はは、それは良かった。それじゃ、はい。自転車をちゃんと返してくれた人への、無料の水ね」
オーストラリアでは値段が高く、「ファンシー」で貴重なペットボトルの水をもらった僕は、満足感を持ったままフェリーに乗ってマンリーを後にし、ホテルに戻りました。
さて、この後は、ビールです。
パブでビールを飲みながらサッカー観戦です。
↑女子高生
↑急勾配さを伝えたい写真
↑急勾配さを伝えたい写真 その2
↑レトリーバーの飼い主と犬B