madajimaとの会話

たまたまここを訪れてくれた方を一笑い吹かせるために、赤の他人との「どうでもいい会話」や自分の「どうでもいい思考」を載せています。

ドーハの悲劇とmadajimaの悲劇

ドーハの悲劇を知っているだろうか。
1994年のサッカーW杯予選、日本代表初の本選出場まで、あと数分、いや、あと数秒だった。
中立地のカタール、ドーハで行われていたイラク代表との試合、日本代表が2-1とリードしていた終了間際に同点ゴールを決められ、夢は絶望に変わった。
今ほどサッカー人気が無かったため、代表の選手たちは、日本サッカーの普及のため、という使命も背負っていた。
だから、辛さもひとしおだっただろう。写真を見ると、選手たちは皆泣いている。

その同点ゴールだが、相手のコーナーキックから生まれた。
それも、コーナーフラッグから直接ゴール前に蹴ったのではなく、短いパスを後ろに出してから、というショートコーナーからだった。
このショートコーナーは、クロスボールに角度がついてディフェンダーが守りづらくなるという特長の反面、その短いパスの間に相手に寄せられると、ゴール前にボールを供給できなくなるかもしれない、というリスクがある。
そのリスクを、試合終了間際に負うことはないだろう、と日本代表が考えていた裏をかいたイラク代表が、見事にヘディングシュートを決めた。
それが、ドーハの悲劇だ。

では、madajimaの悲劇を知っているだろうか。
高校三年生の夏、M高校サッカー部は、県大会一回戦を戦っていた。
スコアは1-2と負けていて、試合時間はもう残されていない。このまま試合が終われば、スタメンの9割を占めていた三年生は部活から引退することになる。
だが、ここでM高校にコーナーキックのチャンスが来た。蹴るのは、キックの精度が高いK君である。
K君は、コーナーフラッグへ行く前に、フォワードである僕のところに耳打ちに来た。
ショートコーナーにする?」
僕たちは、事前にショートコーナーを練習してきていた。監督からも、「勝負所でショートコーナーを使うと、相手の裏をかける」と言っていた。
だが僕は、一瞬考えた後、「いや、やめよう」と首を振った。
リスクが怖かったのである。クロスボールを上げられずに高校の部活が終わるのが、嫌だった。
K君は同意してうなずき、コーナーフラッグへ行って、右足でボールを蹴った。
山なりに上がったボールは、僕の頭を越え、相手ディフェンダーにはじき返され、試合終了の笛が鳴った。
僕たちは皆、泣き崩れた。

10年ほどたつこのシーンを、僕は鮮明に覚えていて、事あるごとに思い出している。
あのとき、練習を信じてK君にうなずいていたら。リスクを怖れていなかったら。
やらずに後悔せず、やって後悔していたら。

だが、日本代表がドーハの悲劇以降W杯本選出場を逃しておらず、日本のサッカー界がものすごく発展したように、僕もこの悲劇によって強くなった気がする。
大学中退だとか、皆と仲良くなった会社をステップアップのために辞めるとか、リスクがある行動を選ぶことが多くなった。
そして、そのなに一つにも後悔をしていない。
だからこそ、僕はこのmadajimaの悲劇を忘れるべきではないのだろう。事あるごとに思い出していて、オッケーなのだろう。
練習の成果を試合で信じられるくらい、ひとつひとつの練習を本気でやるべきだ。
リスクだけを見るのではなく、リターンが何であるのか、しっかりと計算をすべきだ。
悲劇はそこから何かを学び取れば経験となり、乗り越えられなければ悲劇のままとなるのだから。


お気づきかもしれないが、次はmadajimaの歓喜の紹介である。