madajimaとの会話

たまたまここを訪れてくれた方を一笑い吹かせるために、赤の他人との「どうでもいい会話」や自分の「どうでもいい思考」を載せています。

しゃーねーあんたぎー

僕がまだ大学生で、埼玉にいたときだった。電車で1時間くらいのところに地元の友だち3人が一緒に住んでいて、よく遊びに行っていた。
一人はフリーター、他の二人は同じところに通う大学生、という組み合わせで、3LDKの部屋に仲良く住んでいた。
その大学生の中の一人、よしはる君が、よく言えばお母さん係、悪く言えば雑用係だった。
「よしはる、明日7時半に起こして」
「よしはる、トイレ汚いんだけど」
「よっしー、今日の晩御飯なに?」「カレーだけど」「残念ながら今日はカレーの気分じゃねーんだよなー!」
優しそうなたれ目と明るいツッコミでみんなから愛されているよしはる君が、家事にやたら時間を費やさなくてはいけないことを僕は不憫に感じていた。
そんな彼の口ぐせが、「しゃーねーあんたぎー」だった。
念のため説明すると、「しょうがねーなー」を意味する「しゃーねー」と、沖縄のお菓子「さーたーあんたぎー」を組み合わせた造語だ。
「おいよしはるー、7時半に起こせって言っただろー」「おれも寝坊しちゃったから、しゃーねーあんたぎーなんだよな」
「なあよしはる、トイレまだ汚いんだけど」「その汚れ一切落ちる気しないから、しゃーねーあんたぎーなんだよな」
「なあ、このカレーに玉ねぎ入ってんだけど」「あー、気づかれないようにしたんだけど、madajimaがどうしても入れろって言ったから」「しゃーねーあんたぎーなんだよな」
最後の例で言ったのはもちろん僕で、そのあとすぐ玉ねぎ嫌いの同居者に殴られてしまった。
これは魔法の言葉だな、と思った。自分がミスしたときや、うまくいかなかったとき、また、どうしようもできない不運ことが起きたりしたとき、怒ったり苛立ったりするのではなく、この言葉をつぶやくことによって、なんとも言い難いリラックスした雰囲気に自分自身や周りの人がが包み込まれるのだ。よしはる君があの家事の不公平さを忘れられるくらいなのだから、ものすごい効力である。「しょうがない」だと諦めたような感覚が強いため少しネガティブだが、「しゃーねーあんたぎー」だと、どこかほっこりと、暖かい音感を持っているんだろう。沖縄のように。
ちなみに、よしはる君はそれから大学を卒業して就職して社員寮に住み始め、何の縁か某財閥のお嬢様と交際している。
 
どうして僕がこの言葉を最近になって思い出したのか。それは僕が2年前の今頃、好きだった女の子にフラれたことを何となく考えていたからだろう。
その子はすごく純粋なかわいい子で、僕はめちゃくちゃ好きだった。彼女の父親がガンで余命半年と宣告された、と教えてくれたときも、僕は「この子を支えたいな」と心から思った。
その気持ちを言って告白をしたとき、彼女は驚き、戸惑い、返答は保留になった。
次の日、僕は飲み会に行き、その子がいかに魅力的か、とか、そんなことを話したりしていて、それなりに盛り上がった、楽しい時間を過ごしていた。
ふと気が付いてLINEを見ると、30分ほど前に彼女から通話が来ていてたことがわかった。え、なんだろ、告白の返答じゃね、と、酔いもあったおかげでうきうきどきどきし、飲み会を少し早めに切り上げて家に帰った。
その電車の中で、「ごめん! 飲み会だったから、帰ったら通話するね!」とメッセージを送ると、しばらくしてから「ごめん、間違って押しちゃったから気にしないで」と返ってきて、僕は落胆した。
それから日数がたち、彼女は僕のメッセージを無視するようになり、結果、僕はフラれたのだった。それから数か月はなかなか立ち直れなかったのをよく覚えている。
そんな当時、僕はこの「間違って押しちゃったから気にしないで」をそのまま文字通りの意味で受け取っていたが、2年経った今、ようやく「これって、『私は父親がガンになって苦しんでいるのに、そっちは飲み会なんですね、しかも告白した翌日に。あたしを支えるって、その千鳥足で自分の身体を支えるのに必死じゃないですか』ってことなのか」と確信めいたものを感じた。卑屈な考え方をしない優しい子なので、もちろんそんな口調ではないだろうが、そのとき彼女はガッカリし、怒ってもいたのではないか、いやそうだったに違いない、と悟りを開いたように決めつけるよいになった。
もし、僕がその飲み会に行っていなければ。もし、通話に気付いた段階で静かな場所に行き通話していれば。もし、僕がメッセージで飲み会のことに触れていなければ。そんな小さな小さな差異さえあれば、おそらく、かなり違ったことが起きていたのだろう。
ただ、そんな可能性について考えているときに心に湧き出た言葉は、「後悔」ではなく「しゃーねーあんたぎー」だった。
思い出してみれば、彼女にフラれたのが理由で、僕は埼玉から東京に引っ越すことを決めた。そして東京に引っ越してから、まるで世界が変わったように、良いことがたくさん起こり始めた。
まず、僕は仕事で昇進し、責任が増え、やりがいも増え、そして毎日が楽しくなった。
通勤時間や待合場所までの時間が少なくなり、時間と心に余裕を持てるようになった。
また、友だちが増えた。新宿や渋谷が近くなり、予定が一切無い週末が少なくなった。
そして、その友だちのおかげで、英語が上達したし、自分に自信を持つようになった。
最後に、この東京という場所には、魅力的な女性はたくさんいるんだな、と気付いた。
もし彼女と付き合っていたら、外国人の友だちと週末に遊ぶ機会は間違いなく少なくて、今ほど英語は喋れてなかっただろう。
もし彼女と付き合っていたら、僕は埼玉に残り、長い通勤時間のせいで、僕の心の疲労は間違いなく今よりも大きかっただろう。
もし彼女と付き合っていたら、僕はとても前の会社を辞めるというリスクのある選択はできなかっただろう。
フラれてからしばらくは、自分の未来がとても暗く感じられた。自分は一生独り身なんじゃないか、とか、そんなことさえ考えた。とてもこんなふうに、それなりに楽しんでいる未来なんて考えられなかった。
「過去に起きたことを結びつけることしかできない」とスティーブ・ジョブズは言った。今起きていることが、未来にどういう影響を与えているなんて、誰にもわからない。でも、その一瞬その一瞬で自分がベストだと思う行動をしていけば、きっと未来の自分は、楽しそうに過去に起きた事の点と点を繋げているんだろうな、また、ちょっとうまくいかないことがあっても、「しゃーねーあんたぎーなんだよな」って言いながら乗り越えていけば、なんとかなるんだな、と思った。
 
ここまで書いて、僕はこわくなった。この言葉は、実はすでにすっごく有名で、別にわざわざブログにすることではないんじゃないか、と。
緊張しながらグーグルで検索してみたところ、そのような文言は見つからなかったので、ほっとした。次から誰かがこの言葉を検索したら、このページがまずヒットするんだろう。
せっかくなので、僕は職場やツイッターでこの言葉を積極的に使っていこうと思うし、この魔法の言葉でみんなの心がほっこりすればいいなあ、と思う。
とりあえず当面の目標は、流行語大賞にノミネートされて、沖縄県からさーたーあんたぎーをたくさんもらうことです。紅芋味が希望です。