madajimaとの会話

たまたまここを訪れてくれた方を一笑い吹かせるために、赤の他人との「どうでもいい会話」や自分の「どうでもいい思考」を載せています。

ボールになりたい

地元新潟に帰省した僕は、親戚と一緒に箱根駅伝を見ていた。
母の実家にあいさつに行き、祖父や親戚とこたつに入って、僕の近況等をああだこうだ話し、その話が尽きたら駅伝に話を移して、という感じだった。
年下のいとこが帝京大学にいるので、そいつは母校を応援し、周りも同様にそこを応援していたのだが、そのいとこの兄は全く興味を持たずに「駅伝やマラソンほど、見ていてつまらない競技はないよな」 と言った。
わざわざ興ざめなことを口に出す彼を他はあまり相手にしなかったが、彼は続けて「ボールとかあればまだおもしろいのに」とつぶやいた。
ほう、と僕は心の中で感心する。確かに、ボールがあるだけでスポーツはおもしろくなるな、と。
競技人数の多いサッカーや野球といったスポーツにボールがあり、歴史はあるが、それらと比べて人気があるとは言えない陸上、水泳、相撲にはボールがない。前者は技術が求められる一方、後者は自分の身体のクオリティが競技の多くを占めるからかもしれない。
小学校の頃を思い出しても、暇を持て余した昼休みにやりたくなるのはドッジボールやバスケットボールで、「よっしゃー、みんなで100m走やろうぜ!」とは確かにならなかった。
ボール一個あるだけで、僕らはルールを作り、その限られた条件下で楽しさや喜びが生まれる。ボール一個あるだけで、僕らは必死に走り回り、その行方を楽しむ。どんなスーパースターがピッチにいようと、球技で一番注目を集めるのはボールだ。
だけど、ボールの仕事は、その形に沿って転がり、跳ね、当たったりするだけだ。誰に微笑むでもなく、誰を嫌うでもなく、ひたすら回り続ける。
そんなボールのように、ただただ自然体で正直に振る舞い、好きな時は好き、嫌いなときは嫌いと言って人から親しみやすさを感じられ、「madajimaがいると楽しくなるから、あいつ呼ぼうか」とか、「今日おまえと話せて元気出たわ」とか、そんな感じのことを言われるようになればいいな、と思った。
そんなことをこんな早い段階で思ったのも何かの縁なので、僕はこの一年を「ただひたすらおもしろそうな、自分の熱中できる方向に転がっていったら、こんなところに行き着いちゃいました、そう、ボールのように、てへ」みたいな感じで笑って過ごせたらな、と願うことにした。そのとき、誰かに大事に抱えてもらったり、洗ってもらったりしていたら、よりうれしいだろう。
 
たしか、2015年の今頃は、イギリス人の友だちのSB君のようになりたいと思っていた。
このブログでも数回出てきたけど、彼はわがままで、自己中心的で、目の前の事しか見ない奴なのに、周りからものすごく愛されていた。それは、彼の人柄の根元が正直で、純粋で、自信があり、他人の目を気にせずまず楽しいことをやろうとしていたからだろう。常に自分より他人の都合を優先してしまう自分は、そういう彼に憧れを持っていた。
そんな2015年の目標は達成できたのか、それがわかったのが、今朝、僕が父に怒られたときだった。
寝坊して布団から起きてきた父によると、「お前は3日に東京に帰ると言っていたのに、なぜ今日(2日)帰るんだ」ということだ。
荷物をまとめた僕の言い分としては、「いや、3日に帰るとは厳密には言ってないし、なによりオレの勘が今帰りたいと言っているから、オレはそれを尊重して今日帰りたいんだ」ということだった。
そんな言った、言ってないのやりとりをした後、父はかなり怒った荒い口調でこう言った。
「おまえは唯我独尊だな、ほんとうに」
僕はぐふ、と笑ってしまう。ここで四文字熟語を使う父が父らしいと感じたのもあるし、それはほめ言葉ではないのか、とつっこみたくなったのもあったからだ。
「わらいごとじゃないぞ」と父は当然また怒る。こんなふうに怒り口調になるのを聞いたのはかなり久しぶりだ。
「すまんすまん、次から気を付けるから」僕は必死にまじめな顔を作ってそう謝る。
それから僕は思った。これはSB君のせいだな、と。
小さい頃から「他人に迷惑をかけないように」と母や祖父母に言われてきて、それを忠実に守ってきた。だが、SB君から「もっと自分のやりたいことを優先しろ」と言われ続けてきて、ずいぶん変わってしまったようだ。
2015年の目標が達成された瞬間だった。元祖唯我独尊のSB君の第2号がここに誕生である。あんまり嬉しさがこみ上げてこないけど、たぶん良いことなんだろう。いや、良いことだと信じたい。
2016年、一体この「ボールになる」という目標が達成できるのか、そして、次はどんな四字熟語が投げかけられるのか、僕は楽しみでならない。