madajimaとの会話

たまたまここを訪れてくれた方を一笑い吹かせるために、赤の他人との「どうでもいい会話」や自分の「どうでもいい思考」を載せています。

人の呼ばれ方

僕の名字は五十嵐である。

さて、どう読んでいただいただろうか。

答えはイカラシである。

世間では五に十に嵐と書けばイガラシとなる、と完全に信じ込まれているが、元々はイカラシという読み方で、次第にイガラシと濁っていったので、僕が本物でイガラシさんは偽物、僕が譜代大名でイガラシさんが外様大名、僕がファーストガンダムでイガラシさんがその他のガンダムと言っても差支えないだろう。

そして、イガラシと名乗っている人を、僕はついシャアのように見てしまう。あなたたちがいるせいで、オレは電話の受け答えでわざわざ「五に十と嵐と書いてイカラシです、はい、濁らないです」と言わなくてはいけないのだ。あなたたちがいるせいで、入社したときのIDカードがIKARASHIではなくIGARASHIとなったのだ(直してもらいました)。あなたたちがいるせいで、自分で「いからし」と振り仮名を書いても、「これ、間違ってますよね?」とボールペンで点々をつけられてしまうのだ(直してもらいました)。あなたたちがいるせいで、ララァが戦争に巻き込まれてしまったのだ(悲しかったです)。

まぁ、シャアの行いとは違って、名字は家族から受け継いだものであるため、当人にはどうしようもできないのはわかっている。一番悪いのは、受け継いだ現代のイガラシさんではなく、イカラシに点々をつけた役人、あるいは祖先なのだ。そして、今さら慣れ親しんできた名字を変えるのは無理なことである。それゆえ、今この文章を見ているイガラシさんは、さぞ怒り心頭だろう。かっかかっかと顔を真っ赤にして、「さて、コメント欄でなんと罵ってやろう」と頭をひねっているところだろう。

けれども、宇宙世紀とは違って、ガンダムやザクを動かして脳天にビームライフルを打ち込むことはできない。小説と違って、僕が王様になり、「イガラシって名字、イカラシより多くて腹立つから、イガラシだけで鬼ごっこするぞ。何人生き残れるかな?」とリアル鬼ごっこをすることもできない。そう、共に生きていかなくてはいかないのだ。互いに受け入れなくてはならないのだ。

なので、どういう縁があってかはわからないけどこの文章を読んでいるあなたには、「イカラシ」という読み方があることを知ってほしい。いからしと振り仮名を振っても、点々をつけないでほしい。IGARASHIと綴らないでほしい。ララァを戦争に巻き込まないでほしいのだ。知る、というのは、辛い憂き目にあっている弱者にとって、すごくありがたいことなのだ。なので、どうか今日はこのことを頭に留めて寝てほしい。

もう一人、呼ばれ方で悩んでいる人がいる。僕のボスだ。

ニコラスというファーストネーム(仮名だけど、似た名前)で、最初に会ったとき、「『ニコ』と呼んでください」と言われたので、「ニコさん」と呼んでいる。敬語は使うものの、冗談を言い合ったり、笑い合ったりするので、厳格な上下関係というわけではないから、何もその呼び方について考えたことがなかった。

驚いたのは、とあるミーティングで、「一緒に働いている人で、おれのことニコラスって呼ぶ人たちいるんだけど、『ニコラスさん、これ翻訳お願いします』って言われると、『お前誰だよ?』って感じなんだよね」と漏らしていたときだ。自己紹介をしたときに「○○と呼んでね」と言ったら、その通りに呼ぶのが慣習であるとのことだった。

普段優しく、焼肉屋の店員に肉の血を袖にこぼされても、「みんな、オレ誰も殺してないからな!」と冗談で返しちゃう素晴らしい人なのに、この時ばかりは少し怒りがこもっていた。名前の間違いとは、そういう、心のコアな部分を揺さぶる、神経質な問題なのだろう。

おそらく「ニコラスさん」と呼ぶ人たちは、そっちの方が丁寧だと思っているからだと思うけど、丁寧が無礼になる、ということもあり得るのだ。自分が普通だと思っていることが、実は普通ではない、ということもあり得るのだ。それが違い、というものである。決して、多数決では決めてはいけない、受け入れなくてはいけない、違いなのだ。

今度、ニコさんを「ニコラスさん」と呼ぶ人がいたら、裏でこっそり「『ニコさん』って呼んだ方がいいですよ」と教えようと思っている。これも、知る、というのが大事だからだ。それも、優しく、軽く、知ってもらう、という形で。

だから、僕も、イガラシさんに会っても、「今までの恨みを晴らしてやる!」と言ってビームサーベルを振り回したりせずに、「イカラシっていう名字が先で、イガラシがだんだん広まっていったんですよ。あっはっは、イガラシの方が言いやすいですもんね。あっはっは」と笑い飛ばすよう、がんばります。