madajimaとの会話

たまたまここを訪れてくれた方を一笑い吹かせるために、赤の他人との「どうでもいい会話」や自分の「どうでもいい思考」を載せています。

感謝をしたい、小学校の担任の酒井先生

最近ふと、小学校の先生たちのことを考えていた。
なんというか、僕の人格形成に良い影響を与えてくれた人たちばかりだなー、と、先生に恵まれてきたことを実感してしまった。
なぜか、無性に。
とはいえ、今では、直接会って感謝することもできない。
なので、先生がここを見てくれている奇跡を信じ、感謝の言葉を綴ってみたい。

 

小学4年生の時、酒井先生が担任についた。
背が高くて、にきび顔だけども笑顔が絶えない、24歳の女性の先生だった。
酒井先生は、大学院を修了したばかりの、ピチピチの新人。
クラスを受け持つのが初めてで、気合十分、大学院で必死に考え抜いた、自分のやりたかったことをあとは実行するのみ、という感じだった。


だが、大学院で必死に考え抜いた、自分のやりたかったことは、良くも悪くも、経験には裏打ちされていない。
経験に裏打ちされていないことを数多くトライした結果、いろいろとグダグダになることが多く、生徒になめられることが多くなった。
フレンドリーだったが、威厳がついてこなかった。
良くも、悪くも。


そういうわけで、酒井先生は他のベテラン先生たちからよく説教を受けていた。
僕も、廊下で説教を受けている先生の姿をチラ見したことがある。
母によると、保護者から「頑張ってください」と励まされるくらいだったという。

 

そんなストレスが溜まったからか、一度、酒井先生はブチ切れてしまったことがあった。
確か理由は、「大縄跳びを真面目にやらなかったから」とか、そんな感じだった。
教室で説教をするも、僕たちはあまりそれを聞かなかった。
どうせいつも通り、笑って許してくれるだろう。


だが、とうとう、酒井先生も、それには我慢できなくなった。
酒井先生は、ピシャリとドアを閉めて、教室から出て行ってしまった。


ざわつく教室。
え、どうなるの、これ。
こんなに先生が怒ったこと、今までなかったよね。
これ、僕たちが授業をサボっているの? それとも先生?
女子生徒が何人か泣いていて、ハンカチで涙を拭っている。

 

ここで、クラスのリーダー的存在、大くんがすくっと立ち上がった。
「酒井先生を、迎えに行こうよ」
おお、そうだ、そうだ。
おれたちが悪いんだ。
酒井先生は悪くない。

 

大くんに続いて、僕たちはみんな立ち上がった。
一人だけ「え? なにこれ?」と言っている奴がいたが、周りの圧に負けて、立ち上がった。

 

そして、クラス総勢30人で、ぞろぞろと教務室に足を運んだ。
途中、他教室のベテラン先生が僕たちに気付き、「あなたたち、授業中に何をしているの!」と怒り出した。
だが、全員お通夜のような気分だった僕たちは、無視をした。
そんな僕たちの圧に負けたのか、ベテラン先生は僕たちを黙って見送っていた。


教務室にたどり着いた。
大くんがノックをし、「失礼します。酒井先生はいますか」と言う。
ノックに応えて出てきた先生は、30人の僕たちを見てギョッとしたが、酒井先生を呼びに行ったようだった。


酒井先生が出てきた。
少し涙目のようだった。
「酒井先生、戻ってきてください」と僕たちは口をそろえて言った。
それを言うなり、クラスの大多数が泣き始めてしまった。
一人だけ、「え? 俺も泣くべき?」と言っている奴がいたが、誰も気に留めなかった。
リーダーの大くんを始め、みんなが「先生、ごめんなさい」と謝った。
「教室に帰ってきてください」と口々に言った。


それから酒井先生は、涙を拭きながら教室に戻ってきて、いつもの笑顔に戻った。
いつもと変わらない、優しい酒井先生に戻った。
 

そんなことを乗り越えながら、2学期、3学期となって、酒井先生もだんだんと慣れてきた。
大学院での理想と、現場での現実が、うまくブレンドされていったのだろう。
いつもは優しさを、時には威厳を。
先生も生徒も、毎日が楽しかった。


そんな時である。
クラスメイトのゆうた君が交通事故に遭い、入院した。
脳にダメージがあり、うまく話したり、手足を動かすことができなくなってしまったのだ。


この事件は、僕たち生徒にとっても大変だったが、担任の先生にとっても難しい状況だったはずだ。
初めてクラスを持ってこのようなことが起きるとは、大変に違いない。
大学院では、研究の対象にはなっていないだろう。


だが、酒井先生は、自らが率先して他のクラスにも声をかけて、千羽鶴やメッセージカードを作ったり、合唱をテープに録音して病室に持って行ったり、といったことをしていた。
ゆうた君を、学年全体で支えましょう。
そんな動きを、どんどんどんどん盛り上げていた。


そのおかげもあってか、ゆうた君は徐々に回復し、とある日の午前中だけ、病院から出て、学校に来れることになった。
そしてここで、酒井先生がクラスのみんなに提案を出した。
「この日は班ごとに何かを企画して、ゆうた君を迎えよう」というものだった。
この提案に、いいねいいね、とみんなが盛り上がった。
一人だけ、「授業がつぶれるぜー、ラッキー」と言っている奴がいたが、誰も気に留めなかった。
ゆうたくんを迎えようぜ、と言い合って、すごく良い雰囲気だった。


他の班が、マッサージとか演奏とかを企画していた一方、僕は「劇をしよう」と同じ班の人たちに提案した。
みんな、乗り気のようだった。
ゆうた君にもわかるストーリーにしよう、ということで、春に国語の授業で習った「ごんぎつね」を、僕が教科書にボールペンで上書きして改変し、「びんぎつね」と言うパロディーを作った。

いろいろと、小学4年生ならではの下ネタとかが入っていたりしたが、酒井先生に劇を事前に見せると、すごく喜んでくれた。
というか、めちゃくちゃ笑っていた。
「こういうの、だめかなあ」と聞いても、少し悩んでから「おもしろいからオッケー」とグーサインを出してくれた。


それで自信をつけた僕たちは、何度も練習してから当日を迎えた。
少し緊張していたが、練習を繰り返していたため、自信もあった。


そして、この劇は、笑いが溢れんばかりの大盛況となった。
もうね、全てがうまくいった。
笑いを取ろうとしたところ全てで、笑いを取れた。
嬉しいことに、ゆうた君のお母さんからも、「事故以来、ゆうたがこんなに笑ったのは初めて」と言ってくれた。

 

僕はここで、人を笑わせる喜びを初めて知った。
笑いが人を元気にする、というのを初めて感じた。
「ごんぎつね」という悲しいストーリーでも、ちょっと言い方を変えてみたり、セリフのタイミングを工夫してみるだけで、こんなに面白くなるんだな、という笑いの作り方にも興味を持った。

 

そして、今になって思うと、これらは全て、酒井先生が僕の好きなようにやらせてくれたおかげだな、と感じる。
厳しい先生なら、「そういう表現はやめなさい」とか言ってきていたのかもしれない。
そうして、僕は委縮してしまったかもしれない。
悲しいストーリーを、悲しいストーリーのまま劇にしていたかもしれない。

 

だが、「おもしろいからオッケー」と、酒井先生は喜んでくれたおかげで。
人前で喋る時や文章を書く時に、必ず笑いを作ることを意識するようになった。
だって、楽しいから。
だって、他の人の笑顔を見たいから。
僕自身の原点が、ここで形作られたのである。

 

酒井先生、ありがとう。
僕は今、ブログやアプリで、楽しい文章を作ることに夢中になっています。
もし、酒井先生が担任ではなかったら、僕は全く違う人間になっていたかもしれません。
ただ、そういう感謝の気持ちがある分、たったの1年で酒井先生が他の学校へ転任となった時は、僕たちのせいではないか、と申し訳なくなりました。
くそ、あのベテラン先生め、と恨めしくも思いました。
ですが、酒井先生はあの時の経験を活かして、どこかで頑張ってくれていると信じています。
僕が今、あの時の劇の経験を活かしているように。

 

ちなみに、今も、同窓会とかで、酒井先生の話をすることがありますよ。
そうやって何度も語られているから、小学4年生の記憶は、いまだによく残っています。
思い出話をしたり、感謝の気持ちを伝えるためにも、いずれまた、みんなで酒井先生を迎えに行きたいですね。